銘醸地、尾州半田

銘醸地、尾州半田

知多の地酒の歴史は古く、さかのぼること三百有余年。江戸初期寛文五年(一六六五年)には、知多全体で114軒、半田では10軒の酒造家が創業していました。

江戸時代中頃には廻船により江戸への出荷も始まり(一七二三年)、知多が江戸と上方(現在の大阪)の中間に位置することから「中国酒」として親しまれ、18世紀末には江戸に入る酒の三割を担う大産地として成長しました。

時とともに盛んな知多の酒造り。國盛のふるさと知多半田は酒の街として広く知れわたり、江戸中期ともなると醸造量は飛躍的に増加。天明八年(一七八八年)には約五万石もの酒米がお酒造りにあてられています。

知多で酒造りが盛んになった背景には、地の利に加えて、年間平均気温15.5度と醪(もろみ)の発酵に適した気候風土と良質な酒米、清冽な湧き水に恵まれたこと。さらには、徳川御三家、尾張藩の奨励も酒造りを力強く後押ししました。地酒の旨さ、國盛の味わいには、はるかなる歴史が脈々と息づいています。

弘化元年、國盛蔵創業

弘化元年、國盛蔵創業
昔に使用されていたラベル

恵まれた自然環境、地酒に欠かせない尊い歴史と伝統、盛んな酒造りの勢いを得て、いよいよ國盛蔵が弘化元年(一八四四年)に創業します。

「国の繁栄を願い、それとともに我が酒の盛んなること」を望む気持ちを込めて「國盛」と命名し世に送り出しました。明治に入り、國盛の醸造量は評判とともに増大。明治二三年(一八九〇年)に知多半島で第一回大日本帝国陸海軍合同の大演習が行われた際、國盛蔵の敷地内に大本営がおかれ、明治天皇をお迎えしました。

この出来事は國盛に対して絶大な信頼が寄せられていたことを物語るものといえます。明治末期には「雪山(せっさん)」の蔵元と提携し、丸中酒造合資会社を設立、その後「雪山」「勲盃」の蔵を合併し、現在に至る基盤をより強固なものとしました。

〒475-0878 愛知県半田市東本町二丁目24番地 
TEL 0569-23-1231 FAX 0569-23-1124

お酒は20歳になってから。飲酒運転は法律で禁止されています。
妊娠中や授乳期の飲酒は胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。適量飲酒を心がけましょう。